小説

2007年7月 8日 (日)

女の幸せ、男の幸せ

スティール・ホイールズ

1990年、バブルの絶頂期

ジャパン アズ ナンバーワン 

と勘違いしていた時代

俺は好景気とはまったく無縁の現場で働いていた

真夏の炎天下での肉体労働

気温は連日35度を超え

一日3回の休憩時間の度に500mlの飲料を
2本飲んでも足りないくらい水分を必要とした

昼食時間、俺たち3人は現場近くのラーメン屋で
ずるずるずるずる麺をすすっていた

テレビのお昼のワイドショーをボッーと眺めていた

高慢ちきな女性リポーターは、アジアのどっかの国で

金余りの元気な日本女性が海外に行って
どのように過ごしているのかを取材していた

レポーターは言った

「今の女性の幸せは

(海外に)行って

(おいしいものを)食べて

(高級ブランド品を)買っちゃう

ことなんですね!」

一緒にラーメンを食べていた同僚はポツリと

「男の幸せ・・・、って何だろうな?」

俺たちはそれぞれ自分の幸せって何だろう、と考えた

そのうち、俺の口から無意識に言葉が流れ出た

「男の幸せって

買って

喰って

イッちゃう

ことなんじゃない?」

3人はそれぞれの頭の中でそのことについて想像力を働かせた

その光景を思い浮かべて見た

イヒヒヒヒ

ウヘヘヘヘ

グフフフフ

かみ殺したような笑いは

しだいに

堪えきれない笑いに変わった

アハハハハ ハハハハハ ワハハハハ

そしてまたラーメンをずるずるずるずるとすすりはじめた

男の幸せなんて、そんなもんさ

今もたいして違いはない

もちろん 俺に限ってのことだけど・・・

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2007年6月17日 (日)

史上最弱のチーム(室蘭栄高校球技大会)

高校のとき、1年から3年の全クラス対抗球技大会があった。(全校で確か30クラス)

競技はバスケットボール、サッカー、卓球、バレーボールの4種目。

それぞれの種目の部に現役で所属しているやつはその競技には出られないという規則があった。

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バスケはクラスでも運動神経の良い人気者集団で結成され、中学のときバスケ部で高校になってからハンドボール部に転身したようなやつばかり。つまり元バスケ部軍団。華やかで俊敏なプレイに女子たちはキャーキャー黄色い声援を送っていた。

サッカーはとにかく人数が11人も必要なので球技大会の主要な競技であった。フォワードには元サッカー部とか運動神経の良い足の速いやつが選ばれ、華麗にシュートを決めていた。当時女子サッカーなんてなかった。女子たちに「男」をアピールするには良い競技だった。

卓球は各クラス、ダブルスを2組という定員があったので4人しか出場できない。これも中学のとき卓球部だったやつがほとんどを占め高度なテクニックを競い合っていた。

バレーボールは(女子を除いて)、たいていのクラスで運動神経の鈍いあまったやつらで結成されていた。
もちろん俺もそのなかに含まれていた。(優勝狙いの強いチームもあったけどね)

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バレーの出場選手は6人から9人の間であればどうでも良いといういい加減なルールで、しかもコートは外の土のグラウンドにネットを立てて行われた。
理数科のクラスなら男が多いので全ての種目問題なく出場できたが、俺は普通科クラスだったのでバスケ5人サッカー11人卓球4人、あまったのはぎりぎりの6人。

こうして史上最弱のバレーボールチームが結成された。

メンバーは俺、I、O、A、N、あと一人思い出せない。影が薄かったのか?とりあえず「鏑木」という名前にしておこう。

Iはエースアタッカー。6人の中で一番背が高いという単純な理由だ。こいつは柔道とか純日本風のことに関しては得意だったが、欧米の球技はいまいち苦手だったような気がする。アタックを打つときもなんかへっぴり腰でかっこ悪かった。
俺はセッター。子供の頃からお姉ちゃんたちと円形になってバレーボールをやっていたのでトスを上げることが出来た。
あとの連中は適当にレシーブをやってもらうことにした。多分「鏑木」くんも。

バレーチームが結成された時点で、クラスの誰もが俺達のことを、ただ出場するだけのチームだなー、と思っただろう。
クラスの誰もが『絶対に勝てるはずがないチーム』が結成されたと確信していた。俺自身そう思っていた。他のみんなは内心笑っていただろう。っていうか、最初からウケ狙いのオンボロチームだったのだ。

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俺はぜんぜんやる気なんてなかったんだけど、幸いなことに良い友達に恵まれていた。

ぜんぜんやる気のないバレーチームを見て、現役バレー部のやつや運動神経のいい友達らが、お前ら、みんなにバカにされて悔しくないのか!俺達3年生は最後の球技大会なんだぞ!今日から練習だ!と言い、放課後に6人は猛特訓を受けることになった。
コーチはもちろん級友のボランティアだ。

とりあえず、みんなが守備のレシーブをできるようになることからはじめた。何人かは最後までダメダメだったけど。

守備が出来たら攻撃の態勢を整えようということになり、とりあえずエースアタッカーのIとセッターの俺以外がレシーブをして、セッターに返し、Iがアタックを打つ。攻撃のレパートリーはこれひとつしかなかった。

コーチたちは辛抱強く俺達のコートにサーブを打ち続けた。最初はダメダメだったが練習を重ねるうちに少しずつ守備から攻撃へのプレイができるようになってきた。100回に1回くらいの割合だったが・・・。

とにかくコーチたちの熱い情熱に支えられ、俺達は毎日練習を続けた。市民体育館を借りたりもした。
コーチたちは自分の所属する部の練習はどうしていたのだろう?今思うと不思議だ。

外のグラウンドだったのでトスをあげるとボールについた泥と砂が顔面に降りかかった。口の中が砂でじゃりじゃりになった。
雨の日はボールが水分を含みとても重たくなった。トスを上げるのが下手だったこともあるのだろうが、練習のし過ぎで俺のつめと指先の間はどんどんはがれてきていつも血がにじんでいた。

周囲の嘲笑にもめげず、みんなヨレヨレになりながら真面目に練習を続けた。

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そんなこんなで球技大会当日を迎えた。

球技大会は校内の各競技場にて同時進行で行われたので、空き時間は他の競技に出場している自分のクラスのチームを応援した。

男子バスケ、サッカーの試合が行われているときは、女の子たちはみんな応援にかけつけキャーキャー声援を送った。中には本気で涙ぐんで応援している女子もいた。

卓球は室内の狭い格技場で行われたのであまり観客が入れなかったが、各プレーヤーの高度なテクニックにマニアックなファンは感嘆していて、それなりに盛り上がっていた。

バレーボールは?

女子に「○崎、時間余ったら応援行くからね!」「○崎君、男子バスケの試合終わったら行くからね!」とあたたかい声援をうけながら、俺達6人とコーチ2人のみで土と砂と泥のコートに出陣した。

おおっ!俺たちはいきなりビビった。相手は2年生だが、9人もいる!

対戦相手が男の多い理数科だったのか、他の競技にエントリーしないでバレーを強化してきたのか、今となっては思い出せない。
俺達はただでさえヘタクソなのに6人対9人どう考えても勝ち目は無い・・・・・・

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試合開始!

俺達はコーチに教わった通りサーブ、レシーブ、トス、強烈なアタック・・・・・・とは全然いかなかった。

ロックドラマーだったNはシューズのかかとを踏んでクールに決めている。イケメンで多少ナルシストだったので、なんとなく誰も彼には注意しなかった。
Nのジャンピング・サーブ強烈なバックアタックはものすごいスピードで鋭角的に相手コートに突き刺さり・・・・・とは全然いかず、ことごとくネットのど真ん中にぶち当たり自陣のコートに落ちた。サーブなんて下から打てば入るのに・・・。

レシーバーのAは、頭の良い策士タイプでいつも何かを深く考え込んでいる様子だった。俺は、ひょっとしてこいつトンデモナイ秘策を持っていて皆を勝利に導いてくれるんじゃないかなと密かに期待していたのだが、そんなことは全然なかった。
Aはいつも深く何事かを考えていたので相手のサーブが飛んできても踏み出すのが一歩遅かった。だからボールがコートに落ちる瞬間、片手をグーにして当てるだけだったので、彼のレシーブはことごとくラインの外側に勢い良く飛び出していった・・・・・・。

クラスNo.1の秀才だったOは運動神経がゼロだった。しかし、当日の彼は闘志まんまんで、相手側から放たれたサーブをことごとく片手をグーにして「えぃ!えぃ!むんっ!やぁ!・・・」と一発で相手コートに打ち返していた。攻撃の基本はレシーブ→トス→アタックだろ!!チャンスボールを相手に与えてどうするの!!練習の成果は彼にもまったく生かされていなかった。
それでも猫パンチみたいに一発で返したボールが相手コートに運良く落ち得点になったときには、「ねえねえ、いまのでいいのかな?ねえ!みんな、いまのでいいのかな?」と得意になって俺達に訊いてきた。O君、君の得意な数学と違ってスポーツのプレイに完全な解答は無い。とO君以外はみんな思っていただろう。

試合が進むにつれ、猫パンチレシーブ、俺のヨレヨレトス、Iのへっぴり腰アタックが決まりだした。Iのアタックはのろのろだったが、決定率は異常に高かった。

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そして     俺達は勝利した!!

「勝ったよ・・・・・・・・・・・・・・・」。コーチのひとりは本気で目を潤ませてつぶやいた。もう一人のコーチも信じられないといった表情で絶句し、俺達を迎えた。

        俺達は勝利したんだ!!

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クラスの女子が寄って来て俺に声をかけた。「○崎くん、かっこよかったよ!

「テメエ、男子バスケの試合見てて、俺達の試合は最後の1、2分しか見てねえだろ!!」・・・・・・とは言わなかった。

俺達は、女子にもてる以外にも大切なものがあることを学んだ。青春。それだけで十分だった・・・・・・・・・・

おしまい。

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2007年5月17日 (木)

Ride on a bicycle

― さいくん

俺は子供の頃、よく野球をして遊んだ。毎日野球をした。野球しかすることが無かった。近所のガキはみんなそうだった。
でも、そんな当たり前の輪のなかに入れないガキもいた。
さいくんだ。
さいくんはちょっと頭が悪かった。きっと野球のルールを覚えられなかったんじゃないかな。それにほとんどしゃべらなかった。
さいくんは、俺たちが野球をしているのを横目でチラッと見ながら一日中町内を自転車でぐるぐるぐるぐるまわっていた。
ぐるぐるぐるぐる、ぐるぐるぐるぐる、ぐるぐるぐるぐる、
学校が休みの日は、朝から日没近くまでぐるぐるぐるぐる
同じコースを何十周もしていた。俺たちが野球をやっているところを通るときだけチラッとこちらをみた。いつも無言だった。

中学生になった。
学校には陸上競技大会があった。運動神経の良い子は100メートル短距離走や3000メートル走、走り高跳びなどに選抜されクラスメイトの喝采を浴びた。
俺は運動神経がちょっと切れていたので、「男子一般100」という身もふたも無い競技に強制参加させられ、ほかの競技に選ばれず余ったやつらと100メートル走で足ののろさを競った。

さいくんもわけもわからずいっぱん100に混ぜられた。どうせあいつはなんにもできないに決まっている。みんなそう思っていた。

いちについて、よーい、バアア~ン。(情けでピストルは鳴らしてくれた)。

同走のやつらがハアハアゼエゼエしながら50メートル付近にさしかかったとき、さいくんは猛烈なスピードでゴールラインを駆け抜けていた・・・。

さいくんは小学生のとき野球にいれてもらえなくて、一日中自転車をこぎつづけていたので、いつの間にか驚異的な脚力の持ち主になっていた。

めでたし、めでたし。

炎のランナー DVD 炎のランナー

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2007年5月13日 (日)

陵辱の内診台

2007年5月13日(日)

― 人類史上初の快挙か?

The Man-Machine Music The Man-Machine

アーティスト:Kraftwerk
販売元:Emi
発売日:2003/01/27
Amazon.co.jpで詳細を確認する

学生時代の自己破滅型の生活というか、アルコールとニコチン中毒の自堕落な生活がたたり、20代前半の俺は極度に虚弱体質になっていた。

仕事の帰り道、下血が止まらない。意識が薄れてきた。命の危険を感じて病院らしきところに駆け込んだ。即入院。でもそこは産婦人科
腹の激痛が続く。下血は止まらない。何種類かの痛み止めもまったく効かず、もがき苦しむ。
夜勤の若い先生は「痛みだけなら止められる」と(下血は止められねえのかよ!)最後の決断を下した。
注射器で怪しげなヤクを注入される。あ~、何かだんだん気持ちよくなってきた~!やっぱ、あの注射は例のアレかなあ~。アレなのかなあ~・・・。先生、もっと注射打ってくれ~・・・。

その後入院生活は2週間に及んだ。病名は肺炎。何で胃腸にきたんだろう?

国立(くにたち)の産婦人科病院。仕事の帰り道にあり内科もやっていたので、その病院は俺のいきつけの店となった。というか入り浸っていた。
男の常連客は俺しかいなかった。妊婦と新生児とクソガキと、ちょっとわけありの若い娘しかいなかった。

院長先生はかなり高齢でちょっと壊れていた。俺は様々な種類の病気で通院したが、大抵処方される薬はいつも同じだった。

診察室では、若い女の娘がちょっとしたあそこのトラブルで診察をうけていて、
院長先生が「最近(男と)関係しただろう?」と女の娘に訊く。
「してませんっ!」。
「関係しただろう!」。
「してませんっ!!」。
「関係しただろう!!!」。

・・・老先生ならではのガッツある診察をされていた。

また、あるときは俺は原因不明の前立腺の不調に悩まされていた。

先生は「最近遊んだか?」と俺を尋問する。
「はい、いつも遊んでます」とは言えなかった。
先生が「肛門を見る」と唐突に言う。別室に行くように指示され、
「はい、ここにのって!」。

へっ、これって内診台じゃあ・・・。

内診とは「女性の生殖器の内部を診察すること。」と辞書にも書いてある。

つまり女がのる台である。

なんでこの俺が・・・。

パンツをぬいで仰向けにされ両足を固定された。ご開帳ならぬご開チン。ちょうどへその辺りで下半身を仕切る陵辱のカーテン
カーテンの向こう側にギャラリーの看護婦が多いのは気のせいではない。でもそれで勃起するほどの余力も無く・・・。

チ●コ吊り上げ、肛門検査SHOWの始まりさ~♪

結局、世紀(性器)の開脚ご開チンSHOWによっても病気の原因はわからなかった。一体なんのために・・・?

まあいいではないか、パンクスは細かいこと気にしてはいけない。うん。うん。

―内診台にのる若い男―

世界的にも報告例が無い、ひょっとして人類史上初か!と思うととても誇らしく、・・・ということは全然無かった。

ちなみに上のCD、邦題『人間解体』 クラフトワーク。もちろん文章とは全く関係ない。

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2007年5月 6日 (日)

性器移植

― 性器移植

20××年、国会で『性器移植法案』が可決された。

病院は連日大繁盛。

先生!おっきいのにしてくれ!

先生!あたしピンク!

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